ヨーロッパのクラシック・レース
●18世紀の終わり頃まで、英国におけるレースの体系はヒートレースと呼ばれるものであった。
これは、同じ相手とのマッチレースを繰り返すというもので、長距離かつ長時間を要するものであったため、経験豊富な古馬達が中心のレースであった。
また、激しいレースである為愛馬を出す事を嫌がる馬主やレースの決着を早く望む人達から敬遠されつつあった。
そこで、4歳馬の牡牝のみを対象とした1回勝負レースを創設しようという声が上がった。
そして、1776年にアンソニー・セント・レジャー将軍が中心となって創設されたのが第1回セント・レジャー・ステークスであります。
このレースは大人気を呼び、それ以降毎年9月初旬に行われている。
このセント・レジャー・ステークスの成功を見た、バンバリー卿とダービー卿そして2人の友人でダービー卿の義叔父であるジョン・バーゴイン将軍が相語らい、ジ・オークス(1779年)、ザ・ダービー・ステークス(1780年)を創設した。
- ジ・オークス
- 1779年創設。4歳牝馬による1回勝負レース。1.5マイル(約2400m)第12代ダービー卿の別荘の名がレース名の由来。巷で言われている、ダービー卿夫人の為に創設したと言うのは間違い!当時ダービー卿と婦人は別居生活に入っており、それは考えられない。
- ちなみに第1回ジ・オークスを勝ったのはダービー卿の所有馬ブリジット。
- ザ・ダービー・ステークス
- 1780年創設。4歳馬による1回勝負レース。最初の4回は1マイルで行われた。
- 「コイン投げ」の由来。ダービー卿はこの新しいレースの権威付けのためにも当時ジョッキー・クラブの会長であったバンバリー卿の名を冠したいと思ったが・・・バンバリー卿はこの田舎競馬の名に自分の名が付けられる事に乗り気ではなかったらしい。といって、政界の実力者でもあったダービー卿の申し出を無下に断るわけにもいかない。2人の議論は互いに譲り合う形で続き最終的にコイン投げでダービーかバンバリーを決めようという事になった。その結果、ダービーというレース名が決まり、後々にはその名が競馬の代名詞と言われ競馬以外の様々なレースのたとえにまで使われるようになった。
- ちなみに第1回ザ・ダービーを勝ったのはバンバリー卿の所有馬ダイオメド。
- また、ウィンストン・チャーチル首相が言ったといわれる「一国の宰相になる事よりダービー馬の馬主になる方が難しい」と言う言葉は記録には残っていない。明らかな伝聞であると思われる。
- セント・レジャー・ステークス
- 1776年創設。4歳馬による1回勝負レース。14F132yds(約2940m)
- ドンカスター競馬場に近いパーク・ヒルズに住んでいたアンソニー・セント・レジャー将軍によって創設された。
- 実力いまだ不確定な4歳の若駒による単発のレースには新鮮な興奮を喚起する魅力があった。そのため以降人気レースとなったが、1970年代のニジンスキー事件以来レースの人気が落ち、今では古馬混合レースとなっている。さしずめ、アルゼンチン共和国杯(G2)の様なものか?!(^^ゞ
また、これらのレースは概ね5月の末あたりから始まるが、それを待てない人々の要望に応えるべく2000ギニ−(1809年)、1000ギニ−(1814年)レースが創設された。
*ギニ−とは当時使われていた通貨単位。アフリカのギニア海岸から運ばれた金によって鋳造された事に由来する。
また、レース名の1000とか2000はレースの賞金額を表していた。1ギニ−=約1ポンド。
1000ギニーは4歳牝馬限定のレースです。
●フランスのクラシックレース
*正式名称からわかる通り、フランスには元々3冠レースと言う概念は無い。全体的に見て英国の3冠よりは1枚落ちる。
しかし、毎年10月にロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞はヨーロッパチャンピオン決定戦としての意味合いが強く最も価値の高いレースの1つとなっている。
- 仏2000ギニ−(芝1600m)
- 仏ダービー(芝2400m)
- ロイヤルオーク賞(芝3100m)・・・価値が低下し、現在は古馬混合レース。
- 仏1000ギニ−(芝1600m)
- 仏オークス(芝2100m)
- ヴェルメイユ賞(芝2400m)
●アイルランドのクラシックレース
*英国に近い事もあり、レース体系も影響をうけている。
- 愛2000ギニ−(芝8F)
- 愛ダービー(芝12F)
- 日程的に英仏のダービー馬が両方出走できるため、非常に価値がたかくなっている。